海の底まで眠りたい

恋とスコーンとパンクと私

消しゴム

「山野見て見て~」

大学からの帰り道玄関を開けながら振り返ると、マコが消しくずのようなものを両手いっぱいに持って帰ってきていた。

「え、なにそれ、捨ててきなよ」

呆気に取られていると、マコはするりと私の横を通り抜け家の中に入っていく。

「これはね、山野のココロだよ」
テーブルの上に消しくずをどっさり置いたマコは心なしか嬉しそうだ。

「ただの消しくずにしか見えないけど」

「まあ見てなって。この消しくずにね、バターと砂糖と牛乳を混ぜるの。チョコチップも入れとく?」
マコは分量も計らずにすべての材料を混ぜ始めた。

何ができるのかは知らないが、自分の心と呼ばれるものを目の前で捏ねられるのは気持ちのいいものではない。私は今日の復習をするべくパソコンの前に腰を掛けた。

「お、今日もやってるんだ、粘土遊び」
マコが作業するテーブルにはいつの間にか白身も乗っていた。

「シロちゃん!!粘土でも遊びでもないから!!これは山野が元気になる魔法なの!!」
ぷんぷん、と言いながらもマコは手を止めない。

「いいじゃんあんな奴元気にさせなくったって。落ち込んでるのがデフォなんだから。むし前向きになると暑苦しくてかなわないよ。この前なんか…」

コソコソ話しているつもりかもしれないが、同じ部屋にいるのだから丸聞こえだ。私は集中できず散歩に出かけた。



星がきれい。夏の匂いだ。宇宙の大きなエネルギーが私を包んでくれている。他人の気持ちには気付けないのにこういうのには弱いのだ。
今日もあの人の気持ちを汲めなかった、さりげない一言で傷付けたかもしれない。
いつの間にか視界が歪んでいる。このままだと夜に飲み込まれてしまいそうで私は衝動的に駆け出していた。


息を切らしながら家の前まで来ると換気口から甘い香りが漂っている。
あの消しくずを焼いたのか。

「ただいま」
泣き顔を見られたくなくてそのままお風呂場に向かう。

「山野、待ってたよ、一緒に食べよう!」
その前に立ちはだかるマコと白身。

「あんたの生き辛さは私らが一番わかってるよ、お腹すいたから早くしてよね」
白身はフンと鼻を鳴らしながらそっけなく言った。マコが何か吹き込だみたいだ。

私は目の前に差し出されたスコーンを受け取り一口齧る。
すると、今日あったことが走馬灯のように駆け巡り私の全身を包んだ。中には悲しいこともあったのに、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

「すごい、おいしい…」

マコと白身も嬉しそうに頬張っている。

「山野、毎日生きててくれてありがとう、おいしいスコーンをありがとう」
面と向かってそんなことを言われ、私は照れ臭くなって顔を背けた。

生き辛いとか世渡りが下手とかそんなことはどうでもいい。

私は今生きている。スコーンは今日もおいしい。

武士とチョコミント

「あーあ・・・」

やってしまった。自主休講。

せっかくの皆勤賞が。

 

「台風だもん、仕方ないよ」

大荒れの天気とは対照的に、マコは呑気に私が買い貯めておいたアイスクリームを食べている。

 

昨晩大学のホームページを確認した時には全学部休講と書いてあったのに。

しかし今朝になって私の学科だけは通常通り授業を行うと書いているではないか。

 

ホームページが更新されているのに気づいたのは始業の十分前。

大学までそこまで遠くないとは言え、遅刻は免れない。まして外は大雨だ。

 

「こんなことならトモダチの連絡先を聞いておけばよかったかなあ・・・」

そう呟きながら私は大学事務室に電話を掛けた。

 

今日の授業は何だっけ。そんなに興味はないが、今まで触れたことのない分野だったはずだ。新しい道が開けたかもしれないのに。

そんなことを考えてももう遅い。

 

別に友人がいないわけではないのだ。コミュ障でもない、と思う。

プライベートで必要以上に人と馴れ合いたくない、という変なプライドが私の交友関係を狭めていた。

 

「山野は真面目過ぎるんだよ、せっかくの休みなんだし満喫したら?みんな休んでるかもしれないよ?」

マコは二つ目のアイスに取り掛かっている。

 

「そういうもんなんかな」

「そうそう。第一今までが頑張りすぎだって。一日くらい休んだって、私も神様も怒らないよ。前みたいに体調悪くしたらどうするの?」

 

そうなのだ。頭ではわかっている。

自分が休んだって誰にも迷惑はかけていないし、少しサボるくらいが周りにとっても丁度いいくらいなのだと。

 

「大学ってもっと高い志を持った人が沢山いるんだと思ってた」

「今日はやけに素直だね。気圧の影響?」

嬉しそうに目を輝かせたマコが顔を覗き込んでくる。

思ったことが口に出ていたようだ。

 

「山野みたいに毎日一生懸命生きてる人なんてほんの一握りだよ。大学だって目的を持って入ってきている人は少ないでしょ」

 

「まあね。でもそれが私が甘えていい理由にはならない」

過ぎたことを悔やんでも仕方がない、昨日の復習でもしておこうか。読めていない小説も読んで感想を投稿しよう。私は過ぎた時間を取り返すべく残り半日の予定を立てていた。

 

 

「山野ってほんと頭固いね、武士みたい」

ケラケラ笑うマコを見て少しムッとしたが、目の前に差し出された食べかけのアイスを見て力が抜けた。たまにはこんな日もいいか。

 

 

久しぶりに食べたチョコミント味のアイスは夏の訪れを告げていた。

明日は友人たちに連絡先を聞いてこよう。絶対。

 

いま、ここ

私の中にはネズミと少女が住んでいる。

 

少女の名前はマコ。

ネズミの名前は白身。

 

2人がいつから住み着いていたのかは知らないが、尋ねるといつも「あなたが生まれる前からよ」と言ってはぐらかされる。

 

マコは12歳くらいの女の子。

白身はその名の通り白ネズミだ。少し毒舌で、雑食のくせに好き嫌いが多い。

 

 

「ねえ山野、もう7月だよ」

「だから何、長袖着るなって言いたいの」

 

いつもレースのワンピースを着たマコと違って、私は夏が嫌いだ。

「山野、いつも暑苦しそうな服着てるもんね」

黒のスキニーパンツにドクターマーチンのブーツ、真夏に仕方なくTシャツは着てもこの2つは譲れない。

 

「暑苦しい服じゃなくてパンクファッションね、ポリシーなの、生き様」

「服が生き様、ねえ」

暑いもんは暑いでしょうに、と言いながらマコはくすくす笑った。

 

 「あんたもう何歳だと思ってるの?とっくに20過ぎてんだよ?」

いつの間にか散歩から帰って来ていた白身が言った。

 

「20超えてたら着ちゃダメなの?そもそもネズミなんていくつになっても毛皮「はいはい、ケンカしないの。山野も白身も仲良くして?」

 

3人の中では私が1番年上なのに(白身は何歳なのか知らないけど)仲裁するのはいつもマコだ。

素直で穏やかなマコと違って、私はいつもそっけない態度をとってしまうのだ。我ながら損な性格だな、と思う。

 

一生ブーツしか履かないのかな、そんなわけはないか。

 

窓からは夕日が差し込んでいた。私はなんとなく、押し入れにしまい込んでいたサンダルを引っ張り出した。鮮やかなオレンジ色だ。

 

「マコが履きたがるから仕方なく、ね」

 

玄関が少し明るくなった。口角がほんの少しだけ上がった。